即身仏に失敗した者の悲惨な末路と日本に現存する18人の即身仏

日本のミイラと呼ばれる即身仏は、日本国内に18人現存しています。

即身仏は厳しい修行と生存本能、自然環境に打ち勝った貴重な仏様です。

即身仏の修行を最初に考案したのは、真言宗の開祖、弘法大師空海だと言われています。

そのため空海に憧れ、人々の幸せを祈り続ける僧侶としての最高の姿を目指して、即身仏の修行に挑んだ僧侶は少なくありません。

しかし、過酷な修行のため失敗した僧侶は悲惨な末路をたどっているのです

そこで当記事では、即身仏に失敗した者の悲惨な末路と現存する18人の即身仏を紹介していきます。

即身仏という奇跡の存在を知ることによって、より豊かな人生を送れるようになるでしょう。

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目次

即身仏の失敗とは『即身仏になれない』こと

人々の飢餓や病の苦しみを代行して救うために、自らの命を捧げて仏となる即身仏の修行ですが、失敗してしまうこともあります。

即身仏になるための修行において失敗とは「即身仏になれない」ことです。

そこで、即身仏になれずに失敗してしまうパターンを3つ紹介します。

即身仏となる前に遺体が腐る

即身仏になる前に遺体が腐ってしまい、失敗してしまうことがあります。

即身仏はエジプトなどで有名なミイラと違い、死後の腐敗処理をしないで生きたままミイラになることです。

そのため、修行の過程で死後遺体が腐らないように、極限まで体脂肪や肉体をそぎ落とし、カロリー摂取をしない体作りをする必要があります

具体的には、下記2つの方法で体から脂肪や水分を無くし、骨と皮だけの体作りを目指すのです。

  • 木食修行
  • 漆を飲む

木食修行とは、山に籠もり1000〜5000日かけて、米、麦、粟、きび、大豆、ごまなどの穀物を口にしないという穀断ちをすることです。

つまり、木の実や草の根だけを食べて、体脂肪を極限まで減らしていくという修行をします。

体の水分を極限まで無くすことと、腐敗処理を目的に、即身仏を目指す僧侶は漆(うるし)を飲んでいたと言われています。

漆は人体に対して強い毒性を持つものです

そのため、漆を飲むだけでも強い精神力が必要になることでしょう。

しかし、漆を飲むことでの嘔吐による水分の排出と腐敗効果は即身仏になるためには効果的でした。

これだけ徹底した即身仏になるための厳しい修行、体作りをしても、日本の温暖で多湿な気候環境では即身仏になることは難しかったでしょう。

なぜなら、体に残った多少の脂肪や水分ですぐに遺体が腐敗してしまうからです。

特に雨が多い地域での即身仏は乾燥することなく腐る場合が多かったようです。

忘れ去られ掘り起こされずに白骨化する

即身仏には一人でなることはできません。

なぜなら「土中入定」をするからです。

土中入定とは、命の限界を悟った僧侶が土の中に作られた石室に入り、ひたすら鈴を鳴らしながら読経することです。

つまり、鈴の音と読経が聞こえなくなったとき、僧侶が絶命したとわかるわけです

そして、僧侶は約3年3ヶ月後に掘り起こしてもらえるように弟子に遺言を残します。

この即身仏になる最後の段階である土中入定が成功することで、即身仏になれるわけです。

しかし、忘れ去られて掘り起こされずに白骨化してしまうという失敗もありました。

信じがたい理由での失敗ですが、下記の3つの原因が考えられています。

  • 周囲との信頼関係ができていなかったから
  • 尊敬されるような僧侶ではなかったから
  • 遺言を残した弟子が高齢、病気持ちだったから

周囲との信頼関係ができていないために忘れ去られてしまった可能性が考えられます。

土中入定してから掘り起こされるまでに、弟子達が修行の場所を変えてしまったり、埋めた場所がわからなくなってしまうことがありました。

即身仏を成功させるためには周囲との信頼関係が大切ですね。

尊敬される僧侶ではなかったため、掘り起こされることがなかったということも考えられています。

また、遺言を残した弟子が高齢もしくは病気持ちだったために、掘り起こすまでに弟子が亡くなってしまったことも考えられているのです。

過酷な修行に耐え切れずに死亡する

即身仏になるための修行は、とても過酷なため耐え切れず死亡してしまうこともあります

即身仏を目指す僧侶は、7年間1日30km山を行脚し、その後木食修行や土中入定を乗り越えることで即身仏となっていきます。

日本で即身仏に成功したとされ、現存する即身仏は18人あり、その多くが山形県にあります。

なぜなら、山形県の湯殿山は山籠もり修行の聖地だからです。

湯殿山は冬になると雪で埋もれてしまうほどの豪雪地帯ですが、即身仏の修行を始めてしまえば、山を下りることは許されません。

厳しい寒さに加えて食べ物の調達も難しく、修行の途中、栄養失調や寒さによる体調不良、病気などで倒れてしまう人もいたほど大変厳しい修行だったとされています。

過去に即身仏の修行に失敗した僧侶たちの末路

過去に即身仏の修行に失敗した僧侶たちの末路を紹介します。

ちなみに、何かしらの理由で失敗した即身仏や修行に挑んだ身元不明の僧侶は、無縁仏として供養されています。

自害を強制される

即身仏の修行で失敗した僧侶は自害を強制されます

なぜなら、即身仏を目指す僧侶はとても厳しい修行で、失敗したり、途中で投げ出した場合は自決するという決まりがあるからです。

なので即身仏の修行に挑む僧侶は、修行に失敗した時や途中で投げ出してしまった時に自決するための短剣と葬儀用の10万円を携帯していました。

また、土中入定した後に心変わりして外に出たくなっても、出してもらうことができないため自殺を強制されていたと考えられています。

よって、現代で即身仏の修行を行うことはできません。

なぜなら、現代の法律では自殺幇助罪や死体損壊罪、死体遺棄罪になってしまうからです。

そのまま餓死

即身仏の修行をしている中で、そのまま餓死し、失敗してしまった僧侶もいます。

木食修行での極端な食事制限が餓死に繋がっていたと考えられています

日本の温暖で多湿な気候の中で即身仏になるには、体が腐ってしまうことや、地中のバクテリアや微生物などに分解されることを乗り越えなければなりません。

そのため、即身仏になるための修行の中で、体の脂肪や水分を極限まで無くす食事制限をします。

それは、山に籠もり1000〜5000日かけて、穀断ちをし、木の実や草の根だけを食べて生活をするというものです。

その過酷な食事制限に耐えることができずに、栄養失調での体調不良の果てに餓死してしまう僧侶も少なくありませんでした。

成功した18人の即身仏

即身仏は、厳しい修行と生存本能、自然環境に打ち勝った奇跡の存在です。

これから即身仏の修行に成功した、日本国内に現存する18人の即身仏を紹介します。

ぜひ一度お参りに行ってみてください。

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即身仏名寺院名享年/入定年所在地
忠海上人
(ちゅうかいしょうにん)
海向寺1775年山形県酒田市
円明海上人
(えんみょうかいしょうにん)
海向寺1822年山形県酒田市
鉄龍海上人
(てつりゅうかいしょうにん)
南岳寺1881年山形県鶴岡市
本明海上人
(ほんみょうかいしょうにん)
本明寺1683年山形県鶴岡市
鉄門海上人
(てつもんかいしょうにん)
注連寺1829年山形県鶴岡市
真如海上人
(しんにょかいしょうにん)
瀧水寺1783年山形県鶴岡市
光明海上人
(こうみょうかいしょうにん)
蔵高院1854年山形県西置賜郡白鷹町
明海上人
(みょうかいしょうにん)
明寿院1863年山形県米沢市
宥貞法印
(ゆうていほういん)
貫秀寺1683年福島県石川郡浅川町
舜義上人
(しゅんぎしょうにん)
妙法寺1686年茨城県桜川市
石頭希遷
(せきとうきせん)
總持寺791年神奈川県横浜市
心宗行順大行者
(しんそうぎょうじゅんだいぎょうしゃ)
瑞光院1687年長野県下伊那郡阿南町
弘智法印
(こうちほういん)
西生寺1363年新潟県長岡市
全海上人
(ぜんかいしょうにん)
観音寺1687年新潟県東蒲原郡阿賀町
秀快上人
(しゅうかいしょうにん)
真珠院1780年新潟県柏崎市
仏海上人
(ぶっかいしょうにん)
観音寺1903年新潟県村上市
妙心法師
(みょうしんほうし)
横蔵寺1815年岐阜県揖斐郡斐川町
弾誓上人
(たんぜいしょうにん)
阿弥陀寺1613年京都府京都市左京区

即身仏の失敗は死を意味する

本記事では、即身仏に失敗した者の悲惨な末路と日本に現存する18人の即身仏を紹介してきました。

厳しい修行を乗り越え、即身仏になることができる確率は非常に低いと考えられます。

なぜなら、厳しい修行を乗り越える精神力、周囲との信頼関係、自然環境、運など様々な要素が全て整わないと成功しないからです。

つまり、自分ひとりが頑張っても即身仏にはなれないということです。

どのような理由であれ、即身仏の修行での失敗は死を意味します

このような即身仏の世界を知ることで、現存する18人の即身仏は奇跡の存在として、長い間たくさんの人々に慕われ、信仰の対象になっている理由がわかるでしょう。

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